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人形の
歴史と伝統

「ローマは一日にしてならず」
といいますが、
今日、みなさんが目にする
ひな人形や五月人形も、
一日にして出来上がったものでは
ありません。
節句人形はその起源も含めれば
千年以上の歴史を持ちます。
その長い年月の中で、
人形師や人形問屋など
先人たちの努力や試行錯誤の末に、
いまある人形の姿が
でき上ってできたのです。
そこで「お江戸と人形 ~雛店の歴史~」
「ひな人形の変遷」「日本の節句」
の観点から
人形の歴史と伝統について
読み解いていきましょう。

奈良時代、唐より宮中に伝えられた節句。
日本では、季節ごとの旬の収穫を
神々に供物として捧げ、
「五穀豊穣」「無病息災」「子孫繁栄」
を祈るとともに、
供物を共に口にすることで
人々が絆を強める行事でもありました。

祝い事が伝える
暮らしの知恵
「五節句」

春の七草に始まり、桃、菖蒲、竹、
そして秋の菊まで、
日本には季節の草花に彩られた
いろいろな「節句」があります。
節句は奇数が重なる日を
めでたいとした中国の考え方が、
奈良時代に伝えられたものです。
それが稲作を中心とした
日本の生活のリズムに
うまくあてはまったことから、
日本の行事として深く根をおろし、
現代に至っています。

年間の節句はまとめて五節句という言葉で言い表されます。現代に伝わる五節句は江戸時代に幕府がそれまでの節句をもとに制定したものです。1月1日の正月元旦は別格扱いとし、1月7日の人日(じんじつ)、3月3日の上巳(じょうし又はじょうみ)、5月5日の端午(たんご)、7月7日の七夕(しちせき)、9月9日の重陽(ちょうよう)で五節句と定められました。

節句にはそれぞれ独自の意味や決まった供物があります。そうした供物を飲食することから、「節句」は「節供」とも言われてきました。昔の人々にとって、節句は神事のためだけでなく、日々の雑事を離れ、滋養のあるものを食べて鋭気を養い、まわりの人との絆を深める貴重な機会でもありました。現代の節句は、親・子・孫といった異なる世代がコミュニケーションを持つきっかけや、暮らしの句読点として心をリフレッシュする機会となっています。

いまに伝わる「五節句」

節句名 人日(じんじつ)
別名 七草の節句
月日 1月7日
植物 七草
飾り物 羽子板・破魔弓
お供え・飲食物 七草粥
節句名 上巳(じょうみ/じょうし)
別名 桃の節句
月日 3月3日
植物
飾り物 ひな飾り
お供え・飲食物 草餅・菱餅
節句名 端午(たんご)
別名 菖蒲の節句
月日 5月5日
植物 菖蒲
飾り物 鎧兜、甲冑、五月人形、鯉幟
お供え・飲食物 ちまき、柏餅
節句名 七夕(たなばた/しちせき)
別名 星祭(笹の節句)
月日 7月7日
植物
飾り物 七夕飾り
お供え・飲食物 索餅(さくべい)
節句名 重陽(ちょうよう)
別名 菊の節句
月日 9月9日
植物
飾り物 「後の雛」人形
お供え・飲食物 栗飯、菊酒

健康と長寿を願う
「後の雛」

~重陽の節句に雛人形を飾る~

重陽の節句とは

中国では、9月9日に茱茰(しゅゆ)(匂いの強い山椒など)の枝を身につけて山を登り、菊酒を飲み、飲食をすると長寿になると信じられていました。日本に伝来してから、貴族たちは茱茰を頭に挿して邪気を避けたり、宴を開いて菊酒を飲んで賑やかに長寿を願いました。菊の香りにはカンファーという香気物質があり、現代でも虫除けに使うくらいですから、科学的にも理にかなっていたのです。

桃の節句の桃酒、端午の節句の菖蒲酒、重陽の節句の菊酒・・・植物に宿る霊力を信じつつ、何かと言えば酒を酌み交わすのが節句の楽しみだったのでしょう。

江戸時代には五節句の一つに数えられ、中でも最も重要な節句として城 中行事になりました。
最も多い陽の数字に幕府よ、永遠なれとの期待を寄せたのかもしれません。諸候は、綸子や羽二重などの布、紅白の餅、とれたての鯛や干した鯛などを献上しました。おしゃれな大名が、熨斗の代わりに菊の花を添えたという話も伝わっています。

次第に一般の人々にも広がって行きましたが、旧暦の九月は現代の十月に当たり、ちょうど収穫期なので、収穫感謝祭の祭事と習合し、やがて吸収されてしまったのでしょう。
目出度さも極まる九の日は、神に願いと感謝をする祭りに絶好の日でもありました。

九州地方で祭りのことを「くんち」と言うのは九日が転訛されたものです。

被綿(せきわた)とは

菊の節句の前夜、庭に咲く菊の花に真綿を被せ、菊の露と香りを染み込ませて移し、翌日にはその真綿で体を拭って不老長寿を願いました。菊は特別な霊力を持った植物と考えられていたので、その霊力が真綿に移し取られる、人を守ると信じていたのです。被綿は、赤い菊には白色の、白い菊には黄色の、黄色い菊には赤色の綿を被せるのが決まりでした。

京都御所には、英照皇太后の遺品て被綿が保管されているとか。嘉永二年の重陽の節句の折、孝明天皇から拝領したものだそうです。

久月の「後の雛(のちのひな)」への取り組み

自分自身のため「健康と長寿」の祈りを込めて、再び自分のひな人形を飾る良き風習の復活の為、2010年から重陽の節句(菊の節句)を多くの方に知って頂き、月遅れの10月9日にご自身のひな人形を飾る「後の雛」キャンペーンと日本の良き文化を守る活動に取り組んで来ました。
その活動は、ポスターを製作し、数百の店舗や公共施設等への掲示や、新聞広告等を使い広報しました。

そんな中、2013年には「後の雛」用に「ご自身のひな人形」を飾って頂く為の、新作神雛を発表しました。
神雛、それは守護人形でそのルーツは「ひとがた」。ひとがたは、古来より人の災厄、病気を人形が背負い、その人の健康・幸せを祈ったものです。久月はその古来よりの伝統を今に復活させ、「神雛」を作りました。

神雛は紙雛から生まれたことも有り、美しさ、華麗さは、その赤と金の配色と、造型にあります。造型は、手を大きく広げた殿と、デフォルメした着物で巻かれた姫が一対となり、平たい形状で作られています。

「後の雛」久月オリジナル神雛

御鎮座1900年の歴史のある、蔵前・第六天榊神社宮司による「お印」をいただいた「古い字形の寿の御札」を守り神として桐箱に添えた神雛

寿
御札に書かれた「古い字形の寿」
寿

長寿はもっともめでたいので、ことぶきの意味になった。